SNSに彼氏を載せたくない理由
私は少し前まで、ことあるごとに彼氏をSNSに載せていた。
どこかへ遊びに行けば写真を撮り、
『京都のきれいな景色と彼氏』や『水族館でデート』といった、
インディーズのバンドのMVか?とでもいうような、所謂エモい写真を毎週載せていたのだ。
彼氏には特に何も言われず、むしろ少し嬉しそうだった。
友人らも「素敵なカップル❤彼氏かっこいい」などとコメントしていた。
しかし社会人になり、SNSを開く暇がなくなりつつある現在、
その痛々しさに気付いてしまったのだ。
なにが痛いかひとつ説明しよう。
■結局は自慢
彼氏との思い出を保存しておきたいのならアルバムで十分である。
消えるのが怖いならクラウドで保存すればよい。
ではなんのために彼氏をSNSにアップしたいか、というと自慢のためだ。
「彼氏に〇〇に連れて行ってもらった自慢」
「彼氏に××もらった自慢」
「彼氏がいることの自慢」
その自慢したい欲求をSNSにアップし、いいねがつくことで満足しているのだ。
彼氏の肖像権やネットに顔をあげるリスクより、自慢したい気持ちである。
彼氏は云わばアクセサリーなのだ。
ここまで書いたところで
「そうだよ、自慢したいだけだよ」という方が大勢いるのも分かっている。
ではここでアナザーストーリーだ。
実際にその自慢に反応した人の実際の反応を紹介しよう。
■彼氏を載せても陰口を言われるだけ
女子は頻繁に『女子会』という名の飲み会を開き、安い酒と少し焦げた肉をほおばりながらその場にいない者の悪口や噂話、近況報告をする会を開く。
よくSNSで見る「そろそろ女子会しよ~!」は「愚痴りたいことがあるから集合」の合図なのだ。
昨今、女子会はSNSをその場で開きながら会話が行われる。
そこでは決して他人をほめることはしない。
自分たちの仲間は、今その場にいる女子会のメンバーであり、いない人はネタの提供者なのだ。
そして飲み会は共通の友人のSNSチェック及び愚痴が始まる。
A「〇〇、ブランドばっかり載せてるけど、あの給料じゃ無理じゃない?」
B「あ、それ怪しい活動してるらしいよ」
A「まじで、あーでも確かに無駄に派手だよねwっていうかまた××彼氏の写真アップしてる~」
B「え、見せて見せて!わ~…てか載せるほどの顔じゃなくない?」
A「思った~私なら恥ずかしくて無理w」
…といった具合に話はドンドン進行していく。
つまり、
彼氏を載せてもネタを提供する存在になるだけであり、
もらったいいね♡は「ハイハイ、(どうでも)いいね~」なのだ。
自分が意図的に非公開にしていても、このように友達の皮をかぶったスパイフォロワーが一人でもいると、格好のネタになるのだ。
上記がSNSに彼氏を載せた際に起きる出来事だ。
なんにせよ、今迄の私の彼氏は、彼女をSNSにあげるような男でなくてよかったと心から思う。
他人から向けられる悪意や陰口ほど面倒くさいものはないからだ。
平成最後の夏
「平成も最後なんだし、花火行かない?」
そんな言葉を高橋一生どころか誰に言われることもない2018年の夏真っ只中である。
平日は仕事、土日は昼寝、といった典型的な日をペラペラと過ごしていたらいつの間にか夏なのだ。
昔からそうだった。
夏休みの宿題は最終日に親に泣きつくどころか、先生に頭を下げ平謝りし、ゴマ油ができるほどゴマをすり生きてきた。
そんな日々を無駄にペラペラ生きていたからこそ、社会人になった今もペラペラと生きてペラペラと休日を過ごしているのだ。
そしてこの先も私はペラペラと生き続けるのだろう。
ペラペラした男と恋に落ち、ペラペラとデートを続け、されたのだかされていないのだかよく分からないペラペラとしたプロポーズをされ、ペラペラしたドレスを着てペラペラした赤い道を歩くのだろう。そして子どもを産み、育て、ペラペラした人間が育てたため自分の分身のようなペラペラした人間が育ち、このペラペラとしたDNAが受け継がれていくのだろう。
こんなペラペラした人生は嫌だと思うが、今までペラペラと生きてきたのでこれからもペラペラとしか生きられない。
昨日まで海にいた魚が突如として陸地で二足歩行をし、「ハロー」なんて言うことはないのである。
だが昔海にいた魚たちは(一世代で変化したとは言えないが)、環境に順応し今や様々な生物として陸地に蔓延っているではないか。
昔は皆、母なる海にいたのだ。
さすが海、万歳。
夏ってやっぱりこれだから好き。
「明日から変わるから」と典型的なダメ男が発するセリフを真顔で親に言い続ける私も、もしかしたらペラペラした人生をペラペラとした文にすることでなにか変わるかもしれない。
そんな思いを抱き私はこうして深夜一時にペラペラとした文を書くのだ。