平成最後の夏

「平成も最後なんだし、花火行かない?」

そんな言葉を高橋一生どころか誰に言われることもない2018年の夏真っ只中である。

 

平日は仕事、土日は昼寝、といった典型的な日をペラペラと過ごしていたらいつの間にか夏なのだ。

 

昔からそうだった。

夏休みの宿題は最終日に親に泣きつくどころか、先生に頭を下げ平謝りし、ゴマ油ができるほどゴマをすり生きてきた。

そんな日々を無駄にペラペラ生きていたからこそ、社会人になった今もペラペラと生きてペラペラと休日を過ごしているのだ。

 

そしてこの先も私はペラペラと生き続けるのだろう。

ペラペラした男と恋に落ち、ペラペラとデートを続け、されたのだかされていないのだかよく分からないペラペラとしたプロポーズをされ、ペラペラしたドレスを着てペラペラした赤い道を歩くのだろう。そして子どもを産み、育て、ペラペラした人間が育てたため自分の分身のようなペラペラした人間が育ち、このペラペラとしたDNAが受け継がれていくのだろう。

こんなペラペラした人生は嫌だと思うが、今までペラペラと生きてきたのでこれからもペラペラとしか生きられない。

昨日まで海にいた魚が突如として陸地で二足歩行をし、「ハロー」なんて言うことはないのである。

 

だが昔海にいた魚たちは(一世代で変化したとは言えないが)、環境に順応し今や様々な生物として陸地に蔓延っているではないか。

昔は皆、母なる海にいたのだ。

さすが海、万歳。

夏ってやっぱりこれだから好き。

 

「明日から変わるから」と典型的なダメ男が発するセリフを真顔で親に言い続ける私も、もしかしたらペラペラした人生をペラペラとした文にすることでなにか変わるかもしれない。

そんな思いを抱き私はこうして深夜一時にペラペラとした文を書くのだ。